漫画 〈私が見た未来〉만화 〈내가 본 미래〉
[이 책만은 꼭]
일본 고베도장 / 타츠미 나나요辰巳 七代
今日本で話題になっている『私が見た未来』という本がある。この本の作者たつき諒氏にはプライベートなことから世界的な出来事にいたるまで、夢で見たことが数年後現実になるということが起きており、その見た夢を元に描かれたのが『私が見た未来』である。表紙に「大災害は2011年3月」と書かれていたことから、12年も前に2011年3月11日の東日本大震災を予言した本として有名となった。
初版は1999年に出版されたが現在は絶版となっており、古本が十万円~数十万円という高額で売買されていたという。2021年10月には『私が見た未来 完全版』が出版され、2022年9月現在50万部を超える大ヒットとなっている。一体なぜこのように話題になったのか、たつき諒氏のみた予知夢がどのようなものなのか見ていきたいと思う。
冒頭でも述べた通り、この漫画が有名になったのは2011年3月11日の東日本大震災を予知したとされているためだ。その予知は表紙に「大災害は2011年3月」と描かれている。これは本当は「1999年の災害は小規模に、そして大災害は2011年3月に」と書くつもりだったそうだ。この具体的な日付は、『私が見た未来』の単行本の締め切りの日に夢で見て、とても重要な日付だと思い急遽年月だけを付け加えることになったという。
元々表紙には、今まで見た夢の中で特に印象に残っているものをいくつか描いたのだが、描く内容とスペースを合わせておらず、一コマ分余ってしまったそうだ。何を描くか考える前に休憩していた時、真っ白なスクリーンのような光景の中に黒い文字が浮き上がっているだけの夢を見てその内容が「大災害は2011年3月」だったのである。
この本が出版された1999年、当時世間はノストラダムスの終末予言の話題で盛り上がっていた。作者はこのように日付を書き警告することで、1人でも多くの人が気づいてくれれば大災害も避けられると思い書いたという。しかし、それだけでは信じる人もおらず発売当時には大した話題になることもなかった。しかし2011年3月に東日本大震災が起きたことにより一部で話題となり、2020年にテレビ番組で紹介されたことで多くの人に知られることになった。また、作者になりすました人物によってさらに話題となることになる。
では本物の作者はどのような人物なのだろうか?たつき氏は1954年12月2日生まれ、神奈川県出身の女性で、17歳の時に交通事故に遭ったことがきっかけで漫画家を志すようになる。しかしストーリー作りが苦手で、身体的にも負担が大きかったため1999年、漫画家を引退していた。
たつき氏は自分では霊感はないと思っており、霊なども見たことがないと述べている。しかし、幼少期には不思議な体験もしている。9歳の時に風邪をこじらせて寝込んでいた時、「なぜ、私は私なのだろう?」「なぜこの地球に生まれて、この体でなければならなかったんだろう?」ということを考えた。この時彼女は、意識を宇宙に飛ばして、空から自分を見ることをイメージしたそうだ。すると自分の考えや悩みがとても小さく思えてきて、次の瞬間「宇宙からの視線」を感じたという。その視線の主についてこう語っている。
「もし神様がいるとしたら、こんな感じの人かも……」と思った瞬間「懐かしい」という感情があふれてきて「親もとへ帰りたい」という思いとともに涙があふれてきたという。
そんなたつき氏は時折印象的な夢を見ることがあり、目が覚めても忘れるどころかむしろはっきりと記憶に残っていき、もしかして何か意味があるのかもしれないと思ったそうだ。そのため漫画家としてデビューした頃から少しずつメモを取るようになり、母親が中身の白い本をくれたことをきっかけに1985年から夢日記として記録を残すようになったという。
たつき諒氏は予言者なのかと尋ねられた時に 「いやいや、全然。自分では思ってないです。(夢と現実は)そのまんまじゃないですから。実感がないんですよね。」と答えている。また、現実とリンクしない夢の方が圧倒的に多いのだという。頻繁に印象的な夢を見るわけはなく現実とリンクするのは、月に数回見る印象的な夢の中の10%程度で、確率的にはかなり低いそうだ。そして、本人も結果的に「現実になったかどうか」でしか予知夢かそうでないかは判断できないという。
話題になった、たつき氏の予言の1つに富士山の噴火がある。これは2021年8月、あるいはいくつかの候補をあげその年の8月に富士山が噴火するという内容だったようだ。しかしこの予言を広めていたのは前出の作者の偽物であったため偽りの予知夢である。
本の表紙にも描かれているようにたつき氏も1991年8月20日に富士山大噴火の夢をみている。しかし、それは象徴的なものであり、大規模な噴火による災害はなく、噴火が起きたとしても小規模なものであるとしている。そしてたつき氏は夢診断から噴火=世界恐慌やパンデミックによってパニックが起きると考えている。これはコロナウイルスによるパンデミックや、ロシアのウクライナ侵攻に伴う世界経済への影響などが起きている今の現状を表しているのではないだろうか。
ただし、たつき氏の夢がコロナパンデミックを予知したものだとしても、富士山の噴火のリスクは無視できるのもではない。富士山は活火山であり、過去3200年間のデータをみると平均30年に1回噴火している。しかし現在1707年の宝永の噴火以来、300年間も噴火をしておらず、平均的な休止期間の10倍の期間が経過しており、次にいつ富士山が噴火してもおかしくない。また、休止期間が長い場合、その後の噴火が大規模になる可能性が高く甚大な被害が出る可能性があるのだ。
さて『私が見た未来』は実際にはどのような本なのか。この本はいくつかの作品が収められたオムニバスになっている。表題作の「私が見た未来」では作者たつき諒氏の見た予知夢がいくつか書かれている。そのほとんどがすでに起きた予知夢について書かれているのだが、最後にはまだ起きていない夢が一つ紹介されている。それが大津波の夢である。
その夢は漫画にしようと1981年にネーム(漫画の原案)が描かれていたが、描いているうちに鳥肌が立ち寒気と吐き気に襲われて中断していたという。夢では引き潮によって海の水が消え「飛行機の爆音ともつかない、とてつもない地の底から体中に響くようななんだかものすごい音がきこえてきた」そうだ。そして大津波に襲われ逃げ惑う人々の声に「ハデス」という声も聞こえてきた(ハデスはギリシャ神話における冥界の神であるが、当時は「ハデス」が何であるか分からなかったそうだ)。たつき氏が夢の中で目を覚まし、時計を見ると5時で止まっていた。外に出ると5つほど階段のある見覚えのない歩道橋。そして疲れ切ったような人々がいた。歩道橋を渡るとあったはずの「先」がなく海になっており、そこにはいくつかの船が浮かんでいたという。その部分のネームに描かれていたセリフを紹介する。
著者はこの津波の原因について「津波の原因は私にはわかりません。津波に襲われた町がどこなのか?単なる夢で終わるのか予知なのか?は――もうすぐわかるから……」と締めくくられている。
この夢も表紙の言葉と同じように東日本大震災の予知夢だという意見もあるが、たつき氏はそうは思っていないようだ。それは東日本大震災はまだ寒い時期に起きたが、その夢の中では自分が半袖の夏服姿であったこと、また夢で見た津波の高さは東日本の大震災のものよりもさらに巨大だったからだ。そのためこの夢は後述の「2025年7月」に関わる予知夢だったのではないかと思っているという。
ここで「たつき諒氏はなぜこのような予知夢をみることになったのだろうか?」ということを考えてみたいと思う。
彼女は1995年1月2日にこんな夢を見ている。荒れた赤い大地に2か所の大きなヒビが入っており、天上の人(女性)がいて「連れていって」と言ったところ「まだ、今はだめよ。5年後ね、5年たったら迎えに来るわ」と返事があったそうだ。
彼女はこの夢が気になり、一体いつの時点からの5年後なのか、もしかして自分の寿命が尽きる日なのかなど色々と考えていたそうだ。しかし、今では何となく答えが分かっているという。それは「役割が終わる日」である。彼女は2021年に「2025年に襲ってくる地球規模の大災難」を予知夢で見たことから、その日に備えて人々に警鐘を鳴らすことが自分の役割であり、つまり5年後というのは2025年ではないかと考えているという。
彼女は霊感の強い知人に、“天使の生まれ変わりであり、自分を犠牲にしてでも他人を助ける人”であると言われたそうだ。確かに実際に人を助けて自分が死にかけたことがあるという。また、甥や姪から『私の見た未来』が話題になっていると聞かされた時は、それまで以上に大人しく静かに生活していたが、一方でもし震災前により多くの人の目に留まっていれば、もっと助かった命があったかもしれないという思いが芽生えたのだという。彼女は完全版に加筆された夢の解説の終盤でこう述べている。
世界には予言者と呼ばれる多くの人がおり、それぞれ様々な予知をしている。また世界各地に様々な予言が存在している。その多くに共通することが人類はこれから大きな災難に立ち向かわねばならない時が来るという事である。これは天地から、また神々からのメッセージである。
たつき氏は自分が有名になることや自分の名誉のために行動するのではなく、他者を助ける精神をもち行動できる人物であったからこそ、またそれを発信し多くの人々に届く可能性の高い漫画という手段をもっていたからこそ、予知夢という形を通してメッセージを受け取り皆に警告を伝える役割を得たのではないだろうか。
上にも出てきた、たつき氏が『私が見た未来 完全版』の生まれてきた理由だと感じている「2025年7月の大災難」について紹介したいと思う。
彼女は漫画家として行った最後のインド旅行を1998年に行っている。これは彼女にとって大きな転換期になり本人は「大げさにいえば覚醒したというか……」と述べている。「大災害は2011年3月」という日付が見えたのも、このインド旅行から帰って来てからだった。インド旅行では前世でたつき氏の父親であったという聖者サイババとの「再会」、幽体離脱直前の体験、魂や心の奇跡、気づきの意味を知ったりと様々な出来事があったという。
その旅行の最中にこれから起こる大災難の夢を見ることになる。この夢について彼女は
「たとえるなら、ドロドロのスープが煮えたったとき、ボコンとなるように、日本列島の南に位置する太平洋の水が盛り上がる――そんなビジョンが見えたのです。海底火山なのか、爆弾なのか、そこまではわかりませんが。」
と述べている。
紆余曲折があり出版社から依頼により『私が見た未来』を再版する事になり、初めて打合せのため担当者と会ことになった2021年7月5日の明け方、彼女は再びこの夢を見ることになる。それは、1999年の「大災害は2011年3月」と見えた時と同じ、映画館のスクリーンのような光景と「大災難は2025年7月」という文字。そしてGoogle Earthのように空からの目線で地球を見ている夢だったそうだ。彼女は夢についてこのように語っている。
この夢が本当に予知夢であれば、日本列島に甚大な被害がもたらされることはもちろんのこと、他国にも多くの影響が起こることは想像に難くない。たつき氏も述べている通り、本当に予知夢なのかどうかはそれが起こらなければ分からない。しかし2025年に何かが起こるという事や、日本で大災害が起こるという事は多くの予言者が話している。
またトンガの海底火山の噴火によって多くの犠牲が出て地形も変化したことは記憶に新しいが、夢の中で「香港から台湾、そしてフィリピンまでが地続きになるように見えた」と書かれていることから、トンガでの噴火よりもさらに大規模な噴火が起きることが考えられるのではないだろうか。このように考えていくと今後私たちを待ち受けているのは絶望に溢れた暗い未来しかないのではないかと感じる人もいるだろう。しかし、たつき氏はそうではないことを私たちに伝えている。
たつき氏は2025年の大津波の後の世界について「ものすごく輝かしい未来」が見えたというのだ。この大災難が起これば世界の状況は大きく変わっていくだろう。彼女にもあまり具体的なイメージは見えていないそうだが、未来が光り輝いていることは間違いないといい「地球全体で、すべての人々の状態が明るく輝き、活き活きと暮らしている」というイメージを感じるという。彼女はテレビ番組のインタビューにてこう語っている。
彼女は解説の最後にこのように述べている。
私たちが今どういう時を生きているのか。甑山道に出会ってから考え学ぶ機会を多く得ることができた。これは人間として生まれたこの「生」においてとても幸せなことだったと感じている。一方で日本という国において甑山道の真理を伝えることは難しく、多くの人は自分が今どのような時を生きているのかを考える機会すらないままに過ごしているのではないかと感じる。
そのような状況の中で、この本が話題となり出版されたことで、これから大災難を体験すること、そしてそのために自分たちが備えなければならないことを考えるきっかけを得たのではないかと思う。私はこの本を読む中で予知や予言というのは神道世界が善子善孫が一人でも多く生き残るように色々な所で働いている一つの現れなのだという事を改めて感じた。
また、道典や真理の内容とつなげて考えられる点もあるのではないかと思う。例えば大津波の後、船へと向かう時「歩道橋の階段あんなにあった?たしか5つぐらいだと思ったけど」と書かれている。
明確に描かれているわけではなく仮説であるが、色々な国の人が乗っている船=ノアの箱舟の様な存在で、各国の後天へと渡る種となる人々が乗っており、そこに行くには片側5本、両側で10本の5・10という土の数を通ることでたどり着くことができるとも読み取ることができる。このように中央の土を通って後天へと渡るという宇宙一年の真理から解釈することができる点は興味深い。また、「香港から台湾、そしてフィリピンまでが地続きになるように見えた」という部分も上帝様が仰った「今後、符命一つで山を移して、西海を開拓するであろう」「これから先、朝鮮半島と中国は一つに繋がる。将来、東洋三国は陸になるだろう。」(ネット日本語道典7編15章8節・9~10節)という部分を彷彿とさせるものがある。さらに大災難後について述べた「すべての人々の状態が明るく輝き、活き活きと暮らしている」という部分は私たちの修行文化に通ずる部分がある。もちろん「開闢の時は道通君子にも気付かれないようにやって来る」(ネット日本語道典7編12章1節)というお言葉にもある様に、書かれている日付や夢の内容が全てがその通りになるとは考えにくい。しかし、全ては当たっていないとしても人々の目を覚ますきっかけとなるものがあるという事は、命綱を掴むために重要なことではないだろうか。
今回『私の見た未来 完全版』が作者監修のもと出版されるに至ったのも様々な偶然が重なり合い起こったことであった。そしてこのように大きな話題になっていることにも意味があるはずである。何が正しいのかという事を見極めながらも、自分たちが成すべきことは何か、成すために何をしたらいいか、その為に使えるものは何かという視点を持って行動し、世の人を一人でも多く救えることを祈るばかりである。
지금 일본에서 화제가 되고 있는 『내가 본 미래』라는 책이 있다. 이 책의 작가 타츠키 료竜樹諒 씨에게는 사적인 일로부터 세계적인 사건에 이르기까지 꿈에서 본 것이 몇 년 후 현실이 되는 일이 일어났다. 그렇게 꾼 꿈들을 바탕으로 그려진 것이 만화 『내가 본 미래』이다. 표지에 ‘대재앙은 2011년 3월’이라고 적혀 있어서 지금으로부터 12년 전, 2011년 3월 11일의 동일본 대지진을 예언한 책으로 유명해졌다.
초판은 1999년 출간됐으나 현재는 절판됐고, 헌책이 십만 엔에서 수십만 엔에 이르는 고액에 매매되었다고 한다. 2021년 10월에는 『내가 본 미래 완전판』이 출간돼 2022년 9월 현재 50만 부가 넘는 대박을 터뜨렸다. 도대체 왜 이렇게 화제가 됐는지, 타츠키 료 씨가 꾼 예지몽豫知夢이 어떤 것인지 알아보자.
서두에서도 말했듯이, 이 만화가 유명해진 것은 2011년 3월 11일의 동일본 대지진을 예지했다고 알려져 있기 때문이다. 그 예지는 표지에 ‘대재해는 2011년 3월’이라고 그려져 있다. 이건 사실은 ‘1999년의 재해는 소규모로, 그리고 대재앙은 2011년 3월에’라고 쓸 생각이었다고 한다. 이 구체적인 날짜는 『내가 본 미래』 단행본 마감일에 꿈을 꾸며 보았고, 매우 중요한 날짜인 것 같아 급히 연월만 덧붙이게 되었다고 한다.
원래 표지에는 지금까지 꾼 꿈 중에서 특별히 인상에 남는 것을 몇 개 그렸는데 그리는 내용과 칸의 수를 맞추지 않아 한 컷 남게 되었다고 한다. 무엇을 그릴지 생각하기 전 휴식을 취하고 있을 때 새하얀 스크린 같은 광경 속에 검은 글씨가 떠오르고 있는 꿈을 꾸었는데 그 내용이 ‘대재앙은 2011년 3월’이었던 것이다.
이 책이 출간된 1999년 당시 세상은 노스트라다무스의 종말 예언 화두로 들떠 있었다. 작가는 이렇게 날짜를 쓰고 경고함으로써 한 명이라도 더 많은 사람이 알아봐 준다면 대재앙도 피할 수 있을 것 같아 썼다고 한다. 그러나 그것만으로는 믿는 사람도 없었고 출시 당시에는 큰 화제가 될 것도 없었다. 그러나 2011년 3월 동일본 대지진이 일어나면서 일부에서 화제가 되었고, 2020년 TV 프로그램에 소개되면서 많은 사람들에게 알려지게 되었다. 또 실제 작자로 위장한 인물이 나오면서 더욱 화제가 된다.
그렇다면 진짜 작자는 어떤 인물일까? 타츠키 씨는 1954년 12월 2일 카나가와神奈川 현 출신의 여성으로 17세 때 교통사고를 당한 것을 계기로 만화가에 뜻을 두게 된다. 하지만 스토리 제작이 서투르고 신체적으로도 부담이 컸기 때문에 1999년 만화가를 은퇴했었다.
타츠키 씨는 자신에게 영감은 없다고 생각하고 있으며, 귀신 등도 본 적이 없다고 말했다. 하지만 어린 시절에는 신기한 체험도 했다. 아홉 살 때 감기에 걸려 누워 있을 때 ‘왜 나는 나일까?’, ‘왜 이 지구에 태어나서 이 몸이어야 했을까?’라는 생각을 했다. 이때 그녀는 의식을 우주로 날려 하늘에서 자신을 보는 것을 이미지화했다고 한다. 그러자 자신의 생각이나 고민이 아주 작아졌고 다음 순간 ‘우주로부터의 시선’을 느꼈다고 한다. 그 시선의 주인에 대해 이렇게 말한다.
‘만약 신이 있다면 이런 느낌의 사람일지도…’라고 생각하는 순간 ‘그립다’라는 감정이 넘쳐 나서 ‘부모님 곁으로 돌아가고 싶다.’는 생각과 함께 눈물이 쏟아졌다고 한다.
그런 타츠키 씨는 가끔 인상적인 꿈을 꿀 때가 있었고, 꿈에서 깨어나도 잊기는커녕 오히려 또렷이 기억에 남아 혹시 무슨 의미가 있을지도 모른다는 생각을 했다고 한다. 그러다 보니 만화가로 데뷔할 무렵부터 조금씩 메모를 하게 되었고, 어머니가 알맹이가 하얀 책을 주신 것을 계기로 1985년부터 ‘꿈일기’라는 기록을 남기게 되었다고 한다.
타츠키 료 씨는 예언자인가 하고 물었을 때에 “아니오, 전혀! 나 자신은 그렇게 생각하지 않아요. (꿈과 현실은) 그대로가 아니니까요. 실감이 안 나네요.”라고 대답했다. 또 현실과 링크가 되지 않는 꿈이 압도적으로 많다고 한다. 자주 인상적인 꿈을 꾸지 않고, 현실과 연결되는 것은 한 달에 몇 번 꾸는 꿈 중 10% 정도로 확률적으로는 상당히 낮다고 한다. 그리고 본인도 결과적으로 ‘현실이 되느냐 아니냐’의 여부만으로 예지몽인지 아닌지를 판단할 수밖에 없다고 한다.
화제가 된 다츠키 씨의 예언 중 하나로 후지산 분화가 있다. 책 표지에도 그려져 있듯이 타츠키 씨도 1991년 8월 20일 후지산 대분화의 꿈을 꾼 바 있다. 그러나 그것은 상징적인 것으로 대규모 분화에 의한 재해는 없으며 분화가 일어난다고 해도 소규모라고 하고 있다. 그리고 그녀는 꿈 진단에서 분화噴火=세계 공황이나 팬데믹에 의해 패닉이 일어날 거라고 생각하고 있다. 이는 코로나바이러스에 의한 팬데믹이나 러시아의 우크라이나 침공에 따른 세계 경제에의 영향 등이 일어나고 있는 지금의 현상을 나타내는 것은 아닐까.
다만 타츠키 씨의 꿈이 코로나 팬데믹을 예지한 것이라 해도 후지산 폭발 위험은 무시할 수 있는 것은 아니다. 후지산은 활화산으로 과거 3,200년간의 데이터를 보면 평균 30년에 한 번 분화한다. 그러나 현재 1707년 호에이 분화 이후 300년간이나 분화를 하지 않고 있으며 평균 휴지休止기간의 10배의 기간이 경과하고 있으며, 다음에 언제 후지산이 분화한다 해도 이상하지 않다. 또 휴지 기간이 길 경우 이후 분화가 대규모가 될 가능성이 높아 막대한 피해가 발생할 수 있는 것이다.
그런데 『내가 본 미래』는 실제로는 어떤 책일까. 이 책은 여러 작품이 담긴 옴니버스Omnibus 형식으로 되어 있다. 『내가 본 미래』에서는 작가 타츠키 료 씨가 꾼 예지몽이 몇 가지 적혀 있다. 그 대부분이 이미 일어난 예지몽에 대해 적혀 있는데, 마지막에는 아직 일어나지 않은 꿈이 하나 소개되어 있다. 그것이 ‘대해일의 꿈’이다.
그 꿈은 만화로 만들고자 1981년에 네임(만화 원안)이 그려져 있었는데, 그리던 중 소름 끼치고 오한과 구역질이 생겨 중단되었다고 한다. 꿈에서는 썰물에 의해 바닷물이 사라지고 “비행기의 폭음이라고도 할 수 없는, 땅바닥에서 온몸을 울리는 듯한 엄청난 소리가 들려왔다.”고 한다.
그리고 쓰나미가 덮쳐 도망치는 사람들의 목소리에서 ‘하데스’라는 소리도 들려왔다(‘하데스’는 그리스 신화 속 명계冥界의 신이지만 당시에는 ‘하데스’가 무엇인지 몰랐다고 한다). 타츠키 씨가 꿈속에서 깨어나 시계를 보니 5시에 멈춰 있었다. 밖으로 나오자 다섯 개의 계단이 있는 낯선 육교, 그리고 지친 듯한 사람들이 있었다. 육교를 건너가니 바로 바다가 이어졌고, 그곳에는 몇 개의 배가 떠 있었다고 한다. 그 부분의 설명으로 되어 있던 대사를 소개한다.
저자는 이 쓰나미의 원인에 대해 “쓰나미의 원인은 저는 모릅니다. 쓰나미가 덮친 마을이 어디일까? 단순한 꿈으로 끝날까 예지일까? 하! 곧 알게 되니까…” 라고 끝을 맺고 있다. 이 꿈도 표지의 말과 마찬가지로 동일본 대지진의 예지몽이라는 의견도 있지만 타츠키 씨는 그렇게 생각하지 않는 것 같다.
그것은 동일본 대지진은 아직 추운 시기에 일어났지만, 그 꿈속에서는 자신이 반소매 하복 차림이었다는 것, 또 꿈에서 본 쓰나미의 높이는 동일본 대지진의 것보다 더 거대했기 때문이다. 그래서 이 꿈은 후술한 ‘2025년 7월’과 관련된 예지몽이었던 것이 아닌가 생각한다고 한다.
여기서 ‘타츠키 료 씨는 왜 이러한 예지몽을 꾸게 되었을까?’라고 하는 것을 생각해 보고 싶다. 그녀는 1995년 1월 2일에 이런 꿈을 꿨다. 거칠고 붉은 대지에 두 개의 큰 금이 가 있고, 천상의 사람(여성)이 있어 “데려가.”라고 했더니 “아직 지금은 안 돼. 5년 뒤, 5년 뒤에 데리러 올게.”라는 대답이 있었다고 한다.
그녀는 이 꿈이 궁금했고 도대체 어느 시점부터의 5년 후인지, 혹시 자신의 수명이 다하는 날인지 등 여러 생각을 했다고 한다. 그러나 이제는 어쩐지 답을 알고 있다고 한다. 바로 ‘역할이 끝나는 날’이다. 그녀는 2021년 ‘2025년 닥칠 전 지구적 규모의 대재앙’을 예지몽으로 꿨던 것에서 그날을 대비해 사람들에게 경종을 울리는 것이 자신의 역할이고, 즉 5년 후라는 것은 2025년이 아닐까 생각한다고 한다.
그녀는 영감이 강한 지인에게서 ‘천사의 환생이자 자신을 희생해서라도 남을 돕는 사람’이라는 말을 들었다고 한다. 분명 실제로 그녀는 남을 돕다가 자신이 죽을 뻔한 일이 있었다고 한다. 또 조카딸로부터 『내가 본 미래』가 화제가 되고 있다는 말을 들었을 때는 그 어느 때보다 얌전하고 조용하게 생활해 왔지만, 한편으로 만약 지진 전에 더 많은 사람의 눈에 띄었다면 더 살아난 생명이 있었을지도 모른다는 생각이 싹텄다고 말한다. 그녀는 완전판에 가필된 꿈의 해설의 종반에 이렇게 말하고 있다.
“만화 속 쓰나미의 꿈이 2011년의 예지라면 그때는 아쉽게도 늦었습니다. 시간에 맞추지 못했다는 것은 많은 사람의 의식에 그것이 닿지 않았다는 것입니다. 하지만 이번에는 제 만화나 언어를 많은 사람들이 주목하고 있습니다. 이번 대재난은 제대로 날짜도 보이고 있어, 그날을 향해서 사람들의 의식이 바뀌어 가면, 도망친다 - 보다 정확하게 말하면 대책을 세울 수 있다 - 고 생각합니다. 아무것도 모르는, 이해가 안 되는 상태로 있으면 아무래도 준비를 게을리하거나 도망을 늦게 가거나 하는 사람이 생겨 버립니다. 하지만 날짜까지 확실히 알림으로써 모두가 같은 목표를 향해 갈 수 있지 않을까요. 중요한 것은 준비하는 것, 재난 이후 삶의 방식을 고려해 지금부터 준비하고 행동을 해 두는 것의 중요성을 다시 한번 인식했으면 합니다. (중략) 이번 이 책은 그런 역할을 가지고 태어난 것이라는 생각이 듭니다.”
세계에는 예언자라고 불리는 많은 사람들이 있고, 저마다 다양한 예지를 하고 있다. 또한 세계 각지에 다양한 예언이 존재한다. 그중 많은 공통되는 것이 인류는 앞으로 큰 재난에 맞서야 할 때가 온다는 것이다. 이는 천지에서, 또 신들에게서 오는 메시지다.
타츠키 씨는 자신이 유명해지거나 자신의 명예를 위해 행동하는 것이 아니라 타인을 돕는 정신을 갖고 행동할 수 있는 인물이었기 때문에, 또 그것을 발신하고 많은 사람들에게 전달될 가능성이 높은 만화라는 수단을 갖고 있었기에 예지몽이라는 형식을 통해 메시지를 받고 모두에게 경고를 전달하는 역할을 하지 않았을까.
위에도 나온 타츠키 씨가 『내가 본 미래 완전판』의 탄생 이유라고 느끼고 있는 ‘2025년 7월의 대재난’에 대해 소개하고자 한다.
그는 만화가로서 갔던 마지막 인도 여행을 1998년에 했다. 이것은 그녀에게 있어서 큰 전환기가 되어 본인은 “과장하게 말하면 각성했다고 할까 ……”라고 말하고 있다. 대재앙은 2011년 3월이라는 날짜가 보인 것도 이 인도 여행에서 돌아온 뒤였다. 인도 여행에서는 전생에 타츠키의 아버지였다는 성자 사이바와의 재회, 유체 이탈 직전의 체험, 영혼이나 마음의 기적, 깨달음의 의미를 아는 등 여러 가지 사건이 있었다고 한다. 그 여행 중에 앞으로 일어날 대재앙의 꿈을 꾸게 된다.
이 꿈에 대해 그녀는 “비유하자면 걸쭉한 수프가 끓을 때 펑 하고 쏟아 오르듯이, 일본 열도의 남쪽에 위치한 태평양의 물이 솟아오른다. 그런 모습이 보였습니다. 해저 화산인지 폭탄인지 거기까지는 알 수 없는데요.”라고 말하고 있다.
우여곡절이 있어 출판사의 의뢰로 『내가 본 미래』 를 재판하게 됐고, 처음 협의를 위해 담당자와 만나게 된 2021년 7월 5일 새벽 그녀는 다시 이 꿈을 꾸게 된다. 그것은 1999년 ‘대재앙은 2011년 3월’을 보았을 때와 같은 극장 스크린과 ‘대재앙은 2025년 7월’이라는 글자였다. 그리고 구글 어스처럼 하늘에서 지구를 바라보는 꿈이었다고 한다. 그는 꿈에 대해 이렇게 말하고 있다.
이 꿈이 정말 예지몽이라면 일본 열도에 막대한 피해가 초래되는 것은 물론 다른 나라에도 많은 영향이 일어나는 것은 상상하기 어렵지 않다. 타츠키 씨도 말했듯이, 정말로 예지몽인지 아닌지는 그것이 일어나지 않으면 모른다. 그러나 2025년에 무슨 일이 일어난다는 것과 일본에서 대재앙이 일어난다는 것은 많은 예언자들이 말하고 있다.
또 (2022년 1월) 통가 해저 화산의 폭발로 인해 많은 희생이 일어나고 지형도 변화된 것은 기억에 새롭지만, 타츠키 씨가 꿈속에서 홍콩에서 대만, 그리고 필리핀까지 땅으로 이어지는 것처럼 보였다고 하니 앞으로 통가 폭발보다 더 큰 규모의 분화가 일어날 수도 있지 않을까. 이렇게 생각하다 보면 앞으로 우리를 기다리고 있는 것은 절망에 찬 어두운 미래밖에 없다고 느끼는 사람도 있을 것이다. 하지만 타츠키 씨는 그렇지 않다는 사실을 우리에게 알려 주었다.
타츠키 씨는 2025년 쓰나미 이후의 세계에 대해 ‘엄청나게 빛나는 미래’가 보였다고 한다. 이 대재앙이 터지면 세계 상황은 크게 달라질 것이다. 그녀에게도 그다지 구체적인 이미지는 보이지 않는다지만 미래가 빛나고 있는 것은 틀림없다며 “지구 전체에서 모든 사람들의 상태가 밝게 빛나고 활기차게 살고 있다는 이미지를 느낀다.”고 한다. 그녀는 TV 프로그램 인터뷰에서 이렇게 말했다.
그녀는 해설 말미에 이렇게 말했다.
우리가 지금 어떤 때에 살고 있는가. 증산도를 만나면서부터 생각하고 배울 기회를 많이 얻을 수 있었다. 이것은 인간으로 태어난 이 ‘삶’에 있어서 매우 행복한 일이었다고 느끼고 있다. 한편으로 일본이라는 나라에 있어서 증산도의 진리를 전하기는 어렵고, 많은 사람들은 자신이 지금 어떤 때에 살고 있는지를 생각할 기회조차 없이 지내고 있는 것이 아닌가 생각한다.
그런 상황 속에서 이 책이 화제가 되어 출간됨으로써 앞으로 대재앙을 겪는다는 것, 그리고 이를 위해 자신들이 갖춰야 할 것들을 생각할 수 있는 계기를 얻지 않았나 싶다. 나는 이 책을 읽으면서 예지나 예언이라는 것은 신도 세계가 선자선손善子善孫이 한 명이라도 더 살아남을 수 있도록 여러 곳에서 일하고 있는 하나의 표현이라는 것을 새삼 느꼈다.
또 도전이나 진리의 내용과 연결해서 생각할 수 있는 점도 있지 않을까 싶다. 예를 들어 쓰나미 후 배로 향할 때 육교 계단이 5개라고 적혀 있다. 명확하게 묘사된 것은 아니고 가설이지만, 여러 나라 사람들이 타고 있는 배=노아의 방주와 같은 존재로 각국에서 후천으로 건너가는 씨앗이 되는 사람들이 타고 있으며, 그곳에 가려면 한쪽 5개 반대쪽 5개를 합하여 양쪽에서 10개의 토土의 수(5·10토土)를 지나야 도달할 수 있다고도 읽을 수 있다. 이처럼 중앙의 토를 지나 후천으로 건너간다는 것은 ‘우주 일 년의 진리’로 해석할 수 있다는 점은 흥미롭다.
또 홍콩에서 대만, 그리고 필리핀까지 계속 이어지는 것처럼 보였다는 부분도 상제님이 말씀하신 “부명符命 하나로 산을 옮길 것이니, 이 뒤에는 산을 옮겨서 서해西海를 개척할 것이니라. 앞으로 중국과 우리나라가 하나로 붙어 버린다. 장차 동양삼국이 육지가 되리라.(일본어 도전 7편 15장 8~10절)”라는 부분을 방불케 하는 대목이다.
더욱이 대재난 이후에 대해 말한 ‘모든 사람들의 상태가 밝게 빛나고 활기차게 살고 있다.’는 부분은 우리의 수행 문화와 통하는 부분이 있다. 물론 “개벽 시간은 도통군자도 모르게 하느니라.”(일본어 도전 7편 12장 1절)는 말씀에도 있듯이 만화에 적혀 있는 날짜나 꿈의 내용이 모두 그대로 된다고 보기는 어렵다. 그러나 모든 것이 맞지는 않더라도 사람들의 눈을 뜨게 하는 계기가 된다는 것은 후천 생명줄을 잡기 위해 중요한 일이 아닐까.
이번에 『내가 본 미래 완전판』이 작자 감수하에 출판되기에 이른 것도 여러 우연이 겹치면서 벌어진 일이었다. 그리고 이렇게 큰 화제가 되고 있다는 것도 의미가 있을 것이다. 무엇이 옳은가 하는 것을 지켜보면서 자신들이 해야 할 일은 무엇인지, 이루기 위해 무엇을 해야 하는지, 그것을 위해 쓸 수 있는 것은 무엇인가 하는 시각을 갖고 행동하며 세상 사람을 한 명이라도 더 구할 수 있기를 바랄 뿐이다.
https://www.fujitv.co.jp/unb/contents/220407_1.html
◆ 不思議探偵社 たつき諒先生の「なりすまし」の件について(7月18日)
https://fusitan.net/3252/
◆ TOCANA「2025年10月22日から人類滅亡クラスの大患難時代に突入」世界的予言者!
https://tocana.jp/2021/12/post_226661_entry_2.html
はじめに
今日本で話題になっている『私が見た未来』という本がある。この本の作者たつき諒氏にはプライベートなことから世界的な出来事にいたるまで、夢で見たことが数年後現実になるということが起きており、その見た夢を元に描かれたのが『私が見た未来』である。表紙に「大災害は2011年3月」と書かれていたことから、12年も前に2011年3月11日の東日本大震災を予言した本として有名となった。
初版は1999年に出版されたが現在は絶版となっており、古本が十万円~数十万円という高額で売買されていたという。2021年10月には『私が見た未来 完全版』が出版され、2022年9月現在50万部を超える大ヒットとなっている。一体なぜこのように話題になったのか、たつき諒氏のみた予知夢がどのようなものなのか見ていきたいと思う。
なぜ有名になったのか? 表紙に描かれた予知。
冒頭でも述べた通り、この漫画が有名になったのは2011年3月11日の東日本大震災を予知したとされているためだ。その予知は表紙に「大災害は2011年3月」と描かれている。これは本当は「1999年の災害は小規模に、そして大災害は2011年3月に」と書くつもりだったそうだ。この具体的な日付は、『私が見た未来』の単行本の締め切りの日に夢で見て、とても重要な日付だと思い急遽年月だけを付け加えることになったという。
元々表紙には、今まで見た夢の中で特に印象に残っているものをいくつか描いたのだが、描く内容とスペースを合わせておらず、一コマ分余ってしまったそうだ。何を描くか考える前に休憩していた時、真っ白なスクリーンのような光景の中に黒い文字が浮き上がっているだけの夢を見てその内容が「大災害は2011年3月」だったのである。
この本が出版された1999年、当時世間はノストラダムスの終末予言の話題で盛り上がっていた。作者はこのように日付を書き警告することで、1人でも多くの人が気づいてくれれば大災害も避けられると思い書いたという。しかし、それだけでは信じる人もおらず発売当時には大した話題になることもなかった。しかし2011年3月に東日本大震災が起きたことにより一部で話題となり、2020年にテレビ番組で紹介されたことで多くの人に知られることになった。また、作者になりすました人物によってさらに話題となることになる。
作者のたつき諒とは
では本物の作者はどのような人物なのだろうか?たつき氏は1954年12月2日生まれ、神奈川県出身の女性で、17歳の時に交通事故に遭ったことがきっかけで漫画家を志すようになる。しかしストーリー作りが苦手で、身体的にも負担が大きかったため1999年、漫画家を引退していた。
たつき氏は自分では霊感はないと思っており、霊なども見たことがないと述べている。しかし、幼少期には不思議な体験もしている。9歳の時に風邪をこじらせて寝込んでいた時、「なぜ、私は私なのだろう?」「なぜこの地球に生まれて、この体でなければならなかったんだろう?」ということを考えた。この時彼女は、意識を宇宙に飛ばして、空から自分を見ることをイメージしたそうだ。すると自分の考えや悩みがとても小さく思えてきて、次の瞬間「宇宙からの視線」を感じたという。その視線の主についてこう語っている。
「空を見ると、ひとりの老人が座って私を見ていました。白髪、白くて長いひげ。身にまとっている布も真っ白なその人は、笑顔でした。」
「もし神様がいるとしたら、こんな感じの人かも……」と思った瞬間「懐かしい」という感情があふれてきて「親もとへ帰りたい」という思いとともに涙があふれてきたという。
そんなたつき氏は時折印象的な夢を見ることがあり、目が覚めても忘れるどころかむしろはっきりと記憶に残っていき、もしかして何か意味があるのかもしれないと思ったそうだ。そのため漫画家としてデビューした頃から少しずつメモを取るようになり、母親が中身の白い本をくれたことをきっかけに1985年から夢日記として記録を残すようになったという。
たつき諒氏は予言者なのかと尋ねられた時に 「いやいや、全然。自分では思ってないです。(夢と現実は)そのまんまじゃないですから。実感がないんですよね。」と答えている。また、現実とリンクしない夢の方が圧倒的に多いのだという。頻繁に印象的な夢を見るわけはなく現実とリンクするのは、月に数回見る印象的な夢の中の10%程度で、確率的にはかなり低いそうだ。そして、本人も結果的に「現実になったかどうか」でしか予知夢かそうでないかは判断できないという。
富士山大噴火とコロナパンデミック
話題になった、たつき氏の予言の1つに富士山の噴火がある。これは2021年8月、あるいはいくつかの候補をあげその年の8月に富士山が噴火するという内容だったようだ。しかしこの予言を広めていたのは前出の作者の偽物であったため偽りの予知夢である。
本の表紙にも描かれているようにたつき氏も1991年8月20日に富士山大噴火の夢をみている。しかし、それは象徴的なものであり、大規模な噴火による災害はなく、噴火が起きたとしても小規模なものであるとしている。そしてたつき氏は夢診断から噴火=世界恐慌やパンデミックによってパニックが起きると考えている。これはコロナウイルスによるパンデミックや、ロシアのウクライナ侵攻に伴う世界経済への影響などが起きている今の現状を表しているのではないだろうか。
ただし、たつき氏の夢がコロナパンデミックを予知したものだとしても、富士山の噴火のリスクは無視できるのもではない。富士山は活火山であり、過去3200年間のデータをみると平均30年に1回噴火している。しかし現在1707年の宝永の噴火以来、300年間も噴火をしておらず、平均的な休止期間の10倍の期間が経過しており、次にいつ富士山が噴火してもおかしくない。また、休止期間が長い場合、その後の噴火が大規模になる可能性が高く甚大な被害が出る可能性があるのだ。
『私が見た未来』はどんな本なのか?
さて『私が見た未来』は実際にはどのような本なのか。この本はいくつかの作品が収められたオムニバスになっている。表題作の「私が見た未来」では作者たつき諒氏の見た予知夢がいくつか書かれている。そのほとんどがすでに起きた予知夢について書かれているのだが、最後にはまだ起きていない夢が一つ紹介されている。それが大津波の夢である。
その夢は漫画にしようと1981年にネーム(漫画の原案)が描かれていたが、描いているうちに鳥肌が立ち寒気と吐き気に襲われて中断していたという。夢では引き潮によって海の水が消え「飛行機の爆音ともつかない、とてつもない地の底から体中に響くようななんだかものすごい音がきこえてきた」そうだ。そして大津波に襲われ逃げ惑う人々の声に「ハデス」という声も聞こえてきた(ハデスはギリシャ神話における冥界の神であるが、当時は「ハデス」が何であるか分からなかったそうだ)。たつき氏が夢の中で目を覚まし、時計を見ると5時で止まっていた。外に出ると5つほど階段のある見覚えのない歩道橋。そして疲れ切ったような人々がいた。歩道橋を渡るとあったはずの「先」がなく海になっており、そこにはいくつかの船が浮かんでいたという。その部分のネームに描かれていたセリフを紹介する。
「橋の先…船しかついてない!!(大きな船が3つ)小さい船が右端に1つ。おまけにまわりは海になってる!!」
「カンコク人だ。その隣はアメリカ人の船?」
「その隣がインド人で…?その隣はフランス人。
そのとなりの船は…あ…霧が濃くてよく見えない(中にはいろんな国の人が乗っていた)」
「大きな津波がきてすべてをさらっていってしまったらしい」
「カンコク人だ。その隣はアメリカ人の船?」
「その隣がインド人で…?その隣はフランス人。
そのとなりの船は…あ…霧が濃くてよく見えない(中にはいろんな国の人が乗っていた)」
「大きな津波がきてすべてをさらっていってしまったらしい」
著者はこの津波の原因について「津波の原因は私にはわかりません。津波に襲われた町がどこなのか?単なる夢で終わるのか予知なのか?は――もうすぐわかるから……」と締めくくられている。
この夢も表紙の言葉と同じように東日本大震災の予知夢だという意見もあるが、たつき氏はそうは思っていないようだ。それは東日本大震災はまだ寒い時期に起きたが、その夢の中では自分が半袖の夏服姿であったこと、また夢で見た津波の高さは東日本の大震災のものよりもさらに巨大だったからだ。そのためこの夢は後述の「2025年7月」に関わる予知夢だったのではないかと思っているという。
なぜたつき諒氏は予知夢を見たのか?
ここで「たつき諒氏はなぜこのような予知夢をみることになったのだろうか?」ということを考えてみたいと思う。
彼女は1995年1月2日にこんな夢を見ている。荒れた赤い大地に2か所の大きなヒビが入っており、天上の人(女性)がいて「連れていって」と言ったところ「まだ、今はだめよ。5年後ね、5年たったら迎えに来るわ」と返事があったそうだ。
彼女はこの夢が気になり、一体いつの時点からの5年後なのか、もしかして自分の寿命が尽きる日なのかなど色々と考えていたそうだ。しかし、今では何となく答えが分かっているという。それは「役割が終わる日」である。彼女は2021年に「2025年に襲ってくる地球規模の大災難」を予知夢で見たことから、その日に備えて人々に警鐘を鳴らすことが自分の役割であり、つまり5年後というのは2025年ではないかと考えているという。
彼女は霊感の強い知人に、“天使の生まれ変わりであり、自分を犠牲にしてでも他人を助ける人”であると言われたそうだ。確かに実際に人を助けて自分が死にかけたことがあるという。また、甥や姪から『私の見た未来』が話題になっていると聞かされた時は、それまで以上に大人しく静かに生活していたが、一方でもし震災前により多くの人の目に留まっていれば、もっと助かった命があったかもしれないという思いが芽生えたのだという。彼女は完全版に加筆された夢の解説の終盤でこう述べている。
「漫画に描いた津波の夢が2011年の予知だとすれば、そのときは残念ながら間に合いませんでした。間に合わなかったというのは、たくさんの人の意識にそれが届かなかったということです。けれども今回は、私の漫画や言葉を、多くの人が注目してくれています。今度の大災難は、ちゃんと日付も見えているし、その日に向けて人々の意識が変わっていけば、逃げる――より正確にいえば対策を立てること――ができると思うのです。何も知らない、わからない状態でいると、どうしても準備を怠ったり、逃げ遅れたりする人が出てきてしまいます。でも、日付まではっきりと知らせることで、みんなが同じゴールに向かっていくことができるのではないでしょうか。大切なのは準備すること。災難の後の生き方を考えて、今から準備・行動をしておくことの重要さを改めて認識してほしいのです。(中略)今回のこの本はそういう役割を持って生まれてきたものという気がしています。」
世界には予言者と呼ばれる多くの人がおり、それぞれ様々な予知をしている。また世界各地に様々な予言が存在している。その多くに共通することが人類はこれから大きな災難に立ち向かわねばならない時が来るという事である。これは天地から、また神々からのメッセージである。
たつき氏は自分が有名になることや自分の名誉のために行動するのではなく、他者を助ける精神をもち行動できる人物であったからこそ、またそれを発信し多くの人々に届く可能性の高い漫画という手段をもっていたからこそ、予知夢という形を通してメッセージを受け取り皆に警告を伝える役割を得たのではないだろうか。
新たな予知夢「2025年7月」
上にも出てきた、たつき氏が『私が見た未来 完全版』の生まれてきた理由だと感じている「2025年7月の大災難」について紹介したいと思う。
彼女は漫画家として行った最後のインド旅行を1998年に行っている。これは彼女にとって大きな転換期になり本人は「大げさにいえば覚醒したというか……」と述べている。「大災害は2011年3月」という日付が見えたのも、このインド旅行から帰って来てからだった。インド旅行では前世でたつき氏の父親であったという聖者サイババとの「再会」、幽体離脱直前の体験、魂や心の奇跡、気づきの意味を知ったりと様々な出来事があったという。
その旅行の最中にこれから起こる大災難の夢を見ることになる。この夢について彼女は
「たとえるなら、ドロドロのスープが煮えたったとき、ボコンとなるように、日本列島の南に位置する太平洋の水が盛り上がる――そんなビジョンが見えたのです。海底火山なのか、爆弾なのか、そこまではわかりませんが。」
と述べている。
紆余曲折があり出版社から依頼により『私が見た未来』を再版する事になり、初めて打合せのため担当者と会ことになった2021年7月5日の明け方、彼女は再びこの夢を見ることになる。それは、1999年の「大災害は2011年3月」と見えた時と同じ、映画館のスクリーンのような光景と「大災難は2025年7月」という文字。そしてGoogle Earthのように空からの目線で地球を見ている夢だったそうだ。彼女は夢についてこのように語っている。
「突然、フィリピンの中間あたりの海底がボコンと破裂(噴火)したのです。その結果、海面では大きな波が四方八方に広がって、太平洋周辺の国に大津波が押し寄せました。その津波の大きさは、東日本大震災の3倍はあろうかと言うほどの巨大な波です。その波の衝撃で陸が押されて盛り上がって、香港から台湾、そしてフィリピンまでが地続きになるように見えたのです。」
「南海トラフの南側にあるフィリピン海がボコンと下から盛り上がり、巨大な津波となって周辺の国々に広がっていくのです。日本列島の太平洋側、3分の1から4分の1が大津波に飲み込まれています。震源地に向かって、なぜか2匹の龍が向かっていく映像も見えました。」
「南海トラフの南側にあるフィリピン海がボコンと下から盛り上がり、巨大な津波となって周辺の国々に広がっていくのです。日本列島の太平洋側、3分の1から4分の1が大津波に飲み込まれています。震源地に向かって、なぜか2匹の龍が向かっていく映像も見えました。」
この夢が本当に予知夢であれば、日本列島に甚大な被害がもたらされることはもちろんのこと、他国にも多くの影響が起こることは想像に難くない。たつき氏も述べている通り、本当に予知夢なのかどうかはそれが起こらなければ分からない。しかし2025年に何かが起こるという事や、日本で大災害が起こるという事は多くの予言者が話している。
またトンガの海底火山の噴火によって多くの犠牲が出て地形も変化したことは記憶に新しいが、夢の中で「香港から台湾、そしてフィリピンまでが地続きになるように見えた」と書かれていることから、トンガでの噴火よりもさらに大規模な噴火が起きることが考えられるのではないだろうか。このように考えていくと今後私たちを待ち受けているのは絶望に溢れた暗い未来しかないのではないかと感じる人もいるだろう。しかし、たつき氏はそうではないことを私たちに伝えている。
大津波の後に訪れる新しい世界
たつき氏は2025年の大津波の後の世界について「ものすごく輝かしい未来」が見えたというのだ。この大災難が起これば世界の状況は大きく変わっていくだろう。彼女にもあまり具体的なイメージは見えていないそうだが、未来が光り輝いていることは間違いないといい「地球全体で、すべての人々の状態が明るく輝き、活き活きと暮らしている」というイメージを感じるという。彼女はテレビ番組のインタビューにてこう語っている。
「事前に準備しておいたことで多くの人が助かって、復興に向かって人々が生き生き暮らしているっていう、そういう状況が見えたので本当に大きな災害が起きたとしても大丈夫なんだなって、私は信じています。」
「準備ができていれば被害は少なくすむとはいえ、それなりの被害は避けられません。でもその時に仮に人口が激減していたとしても、残った人たちの心は決して暗くならないでしょう。心の時代の到来、つまり心と魂の進化が起こるからです。」
彼女は解説の最後にこのように述べている。
「2025年の大災難が去ったあとには、心の時代がくると信じたいのです。みんなが助け合い、協力し合って、あらゆるものごとがプラスの方向に進んでいく世界。本当の奇跡とは、心が変わることです。大切なのは、自分自身か生きのびることです。(中略)心の時代がくれば私が夢で未来を見て警鐘を鳴らす必要もなくなります。私は今、これで『やっと終わる』という感じがしています。」
本を閉じて
私たちが今どういう時を生きているのか。甑山道に出会ってから考え学ぶ機会を多く得ることができた。これは人間として生まれたこの「生」においてとても幸せなことだったと感じている。一方で日本という国において甑山道の真理を伝えることは難しく、多くの人は自分が今どのような時を生きているのかを考える機会すらないままに過ごしているのではないかと感じる。
そのような状況の中で、この本が話題となり出版されたことで、これから大災難を体験すること、そしてそのために自分たちが備えなければならないことを考えるきっかけを得たのではないかと思う。私はこの本を読む中で予知や予言というのは神道世界が善子善孫が一人でも多く生き残るように色々な所で働いている一つの現れなのだという事を改めて感じた。
また、道典や真理の内容とつなげて考えられる点もあるのではないかと思う。例えば大津波の後、船へと向かう時「歩道橋の階段あんなにあった?たしか5つぐらいだと思ったけど」と書かれている。
明確に描かれているわけではなく仮説であるが、色々な国の人が乗っている船=ノアの箱舟の様な存在で、各国の後天へと渡る種となる人々が乗っており、そこに行くには片側5本、両側で10本の5・10という土の数を通ることでたどり着くことができるとも読み取ることができる。このように中央の土を通って後天へと渡るという宇宙一年の真理から解釈することができる点は興味深い。また、「香港から台湾、そしてフィリピンまでが地続きになるように見えた」という部分も上帝様が仰った「今後、符命一つで山を移して、西海を開拓するであろう」「これから先、朝鮮半島と中国は一つに繋がる。将来、東洋三国は陸になるだろう。」(ネット日本語道典7編15章8節・9~10節)という部分を彷彿とさせるものがある。さらに大災難後について述べた「すべての人々の状態が明るく輝き、活き活きと暮らしている」という部分は私たちの修行文化に通ずる部分がある。もちろん「開闢の時は道通君子にも気付かれないようにやって来る」(ネット日本語道典7編12章1節)というお言葉にもある様に、書かれている日付や夢の内容が全てがその通りになるとは考えにくい。しかし、全ては当たっていないとしても人々の目を覚ますきっかけとなるものがあるという事は、命綱を掴むために重要なことではないだろうか。
今回『私の見た未来 完全版』が作者監修のもと出版されるに至ったのも様々な偶然が重なり合い起こったことであった。そしてこのように大きな話題になっていることにも意味があるはずである。何が正しいのかという事を見極めながらも、自分たちが成すべきことは何か、成すために何をしたらいいか、その為に使えるものは何かという視点を持って行動し、世の人を一人でも多く救えることを祈るばかりである。
들어가며
지금 일본에서 화제가 되고 있는 『내가 본 미래』라는 책이 있다. 이 책의 작가 타츠키 료竜樹諒 씨에게는 사적인 일로부터 세계적인 사건에 이르기까지 꿈에서 본 것이 몇 년 후 현실이 되는 일이 일어났다. 그렇게 꾼 꿈들을 바탕으로 그려진 것이 만화 『내가 본 미래』이다. 표지에 ‘대재앙은 2011년 3월’이라고 적혀 있어서 지금으로부터 12년 전, 2011년 3월 11일의 동일본 대지진을 예언한 책으로 유명해졌다.
초판은 1999년 출간됐으나 현재는 절판됐고, 헌책이 십만 엔에서 수십만 엔에 이르는 고액에 매매되었다고 한다. 2021년 10월에는 『내가 본 미래 완전판』이 출간돼 2022년 9월 현재 50만 부가 넘는 대박을 터뜨렸다. 도대체 왜 이렇게 화제가 됐는지, 타츠키 료 씨가 꾼 예지몽豫知夢이 어떤 것인지 알아보자.
왜 유명해졌나? 표지에 그려진 예지豫知
서두에서도 말했듯이, 이 만화가 유명해진 것은 2011년 3월 11일의 동일본 대지진을 예지했다고 알려져 있기 때문이다. 그 예지는 표지에 ‘대재해는 2011년 3월’이라고 그려져 있다. 이건 사실은 ‘1999년의 재해는 소규모로, 그리고 대재앙은 2011년 3월에’라고 쓸 생각이었다고 한다. 이 구체적인 날짜는 『내가 본 미래』 단행본 마감일에 꿈을 꾸며 보았고, 매우 중요한 날짜인 것 같아 급히 연월만 덧붙이게 되었다고 한다.
원래 표지에는 지금까지 꾼 꿈 중에서 특별히 인상에 남는 것을 몇 개 그렸는데 그리는 내용과 칸의 수를 맞추지 않아 한 컷 남게 되었다고 한다. 무엇을 그릴지 생각하기 전 휴식을 취하고 있을 때 새하얀 스크린 같은 광경 속에 검은 글씨가 떠오르고 있는 꿈을 꾸었는데 그 내용이 ‘대재앙은 2011년 3월’이었던 것이다.
이 책이 출간된 1999년 당시 세상은 노스트라다무스의 종말 예언 화두로 들떠 있었다. 작가는 이렇게 날짜를 쓰고 경고함으로써 한 명이라도 더 많은 사람이 알아봐 준다면 대재앙도 피할 수 있을 것 같아 썼다고 한다. 그러나 그것만으로는 믿는 사람도 없었고 출시 당시에는 큰 화제가 될 것도 없었다. 그러나 2011년 3월 동일본 대지진이 일어나면서 일부에서 화제가 되었고, 2020년 TV 프로그램에 소개되면서 많은 사람들에게 알려지게 되었다. 또 실제 작자로 위장한 인물이 나오면서 더욱 화제가 된다.
작자 타츠키 료 씨는
그렇다면 진짜 작자는 어떤 인물일까? 타츠키 씨는 1954년 12월 2일 카나가와神奈川 현 출신의 여성으로 17세 때 교통사고를 당한 것을 계기로 만화가에 뜻을 두게 된다. 하지만 스토리 제작이 서투르고 신체적으로도 부담이 컸기 때문에 1999년 만화가를 은퇴했었다.
타츠키 씨는 자신에게 영감은 없다고 생각하고 있으며, 귀신 등도 본 적이 없다고 말했다. 하지만 어린 시절에는 신기한 체험도 했다. 아홉 살 때 감기에 걸려 누워 있을 때 ‘왜 나는 나일까?’, ‘왜 이 지구에 태어나서 이 몸이어야 했을까?’라는 생각을 했다. 이때 그녀는 의식을 우주로 날려 하늘에서 자신을 보는 것을 이미지화했다고 한다. 그러자 자신의 생각이나 고민이 아주 작아졌고 다음 순간 ‘우주로부터의 시선’을 느꼈다고 한다. 그 시선의 주인에 대해 이렇게 말한다.
“하늘을 보니 한 노인이 앉아서 나를 보고 있었습니다. 흰머리에 하얗고 긴 수염, 그리고 몸에 걸치고 있는 천도 새하얀 그 사람은 웃는 얼굴이었습니다.”
‘만약 신이 있다면 이런 느낌의 사람일지도…’라고 생각하는 순간 ‘그립다’라는 감정이 넘쳐 나서 ‘부모님 곁으로 돌아가고 싶다.’는 생각과 함께 눈물이 쏟아졌다고 한다.
그런 타츠키 씨는 가끔 인상적인 꿈을 꿀 때가 있었고, 꿈에서 깨어나도 잊기는커녕 오히려 또렷이 기억에 남아 혹시 무슨 의미가 있을지도 모른다는 생각을 했다고 한다. 그러다 보니 만화가로 데뷔할 무렵부터 조금씩 메모를 하게 되었고, 어머니가 알맹이가 하얀 책을 주신 것을 계기로 1985년부터 ‘꿈일기’라는 기록을 남기게 되었다고 한다.
타츠키 료 씨는 예언자인가 하고 물었을 때에 “아니오, 전혀! 나 자신은 그렇게 생각하지 않아요. (꿈과 현실은) 그대로가 아니니까요. 실감이 안 나네요.”라고 대답했다. 또 현실과 링크가 되지 않는 꿈이 압도적으로 많다고 한다. 자주 인상적인 꿈을 꾸지 않고, 현실과 연결되는 것은 한 달에 몇 번 꾸는 꿈 중 10% 정도로 확률적으로는 상당히 낮다고 한다. 그리고 본인도 결과적으로 ‘현실이 되느냐 아니냐’의 여부만으로 예지몽인지 아닌지를 판단할 수밖에 없다고 한다.
후지산 대분화와 코로나 팬데믹
화제가 된 다츠키 씨의 예언 중 하나로 후지산 분화가 있다. 책 표지에도 그려져 있듯이 타츠키 씨도 1991년 8월 20일 후지산 대분화의 꿈을 꾼 바 있다. 그러나 그것은 상징적인 것으로 대규모 분화에 의한 재해는 없으며 분화가 일어난다고 해도 소규모라고 하고 있다. 그리고 그녀는 꿈 진단에서 분화噴火=세계 공황이나 팬데믹에 의해 패닉이 일어날 거라고 생각하고 있다. 이는 코로나바이러스에 의한 팬데믹이나 러시아의 우크라이나 침공에 따른 세계 경제에의 영향 등이 일어나고 있는 지금의 현상을 나타내는 것은 아닐까.
다만 타츠키 씨의 꿈이 코로나 팬데믹을 예지한 것이라 해도 후지산 폭발 위험은 무시할 수 있는 것은 아니다. 후지산은 활화산으로 과거 3,200년간의 데이터를 보면 평균 30년에 한 번 분화한다. 그러나 현재 1707년 호에이 분화 이후 300년간이나 분화를 하지 않고 있으며 평균 휴지休止기간의 10배의 기간이 경과하고 있으며, 다음에 언제 후지산이 분화한다 해도 이상하지 않다. 또 휴지 기간이 길 경우 이후 분화가 대규모가 될 가능성이 높아 막대한 피해가 발생할 수 있는 것이다.
『내가 본 미래』는 어떤 책인가?
그런데 『내가 본 미래』는 실제로는 어떤 책일까. 이 책은 여러 작품이 담긴 옴니버스Omnibus 형식으로 되어 있다. 『내가 본 미래』에서는 작가 타츠키 료 씨가 꾼 예지몽이 몇 가지 적혀 있다. 그 대부분이 이미 일어난 예지몽에 대해 적혀 있는데, 마지막에는 아직 일어나지 않은 꿈이 하나 소개되어 있다. 그것이 ‘대해일의 꿈’이다.
그 꿈은 만화로 만들고자 1981년에 네임(만화 원안)이 그려져 있었는데, 그리던 중 소름 끼치고 오한과 구역질이 생겨 중단되었다고 한다. 꿈에서는 썰물에 의해 바닷물이 사라지고 “비행기의 폭음이라고도 할 수 없는, 땅바닥에서 온몸을 울리는 듯한 엄청난 소리가 들려왔다.”고 한다.
그리고 쓰나미가 덮쳐 도망치는 사람들의 목소리에서 ‘하데스’라는 소리도 들려왔다(‘하데스’는 그리스 신화 속 명계冥界의 신이지만 당시에는 ‘하데스’가 무엇인지 몰랐다고 한다). 타츠키 씨가 꿈속에서 깨어나 시계를 보니 5시에 멈춰 있었다. 밖으로 나오자 다섯 개의 계단이 있는 낯선 육교, 그리고 지친 듯한 사람들이 있었다. 육교를 건너가니 바로 바다가 이어졌고, 그곳에는 몇 개의 배가 떠 있었다고 한다. 그 부분의 설명으로 되어 있던 대사를 소개한다.
“다리 끝!··· 배밖에 도착하지 않았어!! (큰 배가 3개) 작은 배가 오른쪽 끝에 1개, 게다가 주위는 바다로 되어 있어!!”
“한국인이네. 그 옆은 미국인 배?”
“그 옆이 인도인이고? 그 옆은 프랑스인이다. 그 옆에 있는 배는··· 아, 안개가 짙어서 잘 보이지 않는다(안에는 여러 나라 사람들이 타고 있었다).”
“큰 해일이 와서 모든 것을 휩쓸고 가 버린 것 같다.”
“한국인이네. 그 옆은 미국인 배?”
“그 옆이 인도인이고? 그 옆은 프랑스인이다. 그 옆에 있는 배는··· 아, 안개가 짙어서 잘 보이지 않는다(안에는 여러 나라 사람들이 타고 있었다).”
“큰 해일이 와서 모든 것을 휩쓸고 가 버린 것 같다.”
저자는 이 쓰나미의 원인에 대해 “쓰나미의 원인은 저는 모릅니다. 쓰나미가 덮친 마을이 어디일까? 단순한 꿈으로 끝날까 예지일까? 하! 곧 알게 되니까…” 라고 끝을 맺고 있다. 이 꿈도 표지의 말과 마찬가지로 동일본 대지진의 예지몽이라는 의견도 있지만 타츠키 씨는 그렇게 생각하지 않는 것 같다.
그것은 동일본 대지진은 아직 추운 시기에 일어났지만, 그 꿈속에서는 자신이 반소매 하복 차림이었다는 것, 또 꿈에서 본 쓰나미의 높이는 동일본 대지진의 것보다 더 거대했기 때문이다. 그래서 이 꿈은 후술한 ‘2025년 7월’과 관련된 예지몽이었던 것이 아닌가 생각한다고 한다.
타츠키 료 씨는 왜 예지몽을 꾼 것일까?
여기서 ‘타츠키 료 씨는 왜 이러한 예지몽을 꾸게 되었을까?’라고 하는 것을 생각해 보고 싶다. 그녀는 1995년 1월 2일에 이런 꿈을 꿨다. 거칠고 붉은 대지에 두 개의 큰 금이 가 있고, 천상의 사람(여성)이 있어 “데려가.”라고 했더니 “아직 지금은 안 돼. 5년 뒤, 5년 뒤에 데리러 올게.”라는 대답이 있었다고 한다.
그녀는 이 꿈이 궁금했고 도대체 어느 시점부터의 5년 후인지, 혹시 자신의 수명이 다하는 날인지 등 여러 생각을 했다고 한다. 그러나 이제는 어쩐지 답을 알고 있다고 한다. 바로 ‘역할이 끝나는 날’이다. 그녀는 2021년 ‘2025년 닥칠 전 지구적 규모의 대재앙’을 예지몽으로 꿨던 것에서 그날을 대비해 사람들에게 경종을 울리는 것이 자신의 역할이고, 즉 5년 후라는 것은 2025년이 아닐까 생각한다고 한다.
그녀는 영감이 강한 지인에게서 ‘천사의 환생이자 자신을 희생해서라도 남을 돕는 사람’이라는 말을 들었다고 한다. 분명 실제로 그녀는 남을 돕다가 자신이 죽을 뻔한 일이 있었다고 한다. 또 조카딸로부터 『내가 본 미래』가 화제가 되고 있다는 말을 들었을 때는 그 어느 때보다 얌전하고 조용하게 생활해 왔지만, 한편으로 만약 지진 전에 더 많은 사람의 눈에 띄었다면 더 살아난 생명이 있었을지도 모른다는 생각이 싹텄다고 말한다. 그녀는 완전판에 가필된 꿈의 해설의 종반에 이렇게 말하고 있다.
“만화 속 쓰나미의 꿈이 2011년의 예지라면 그때는 아쉽게도 늦었습니다. 시간에 맞추지 못했다는 것은 많은 사람의 의식에 그것이 닿지 않았다는 것입니다. 하지만 이번에는 제 만화나 언어를 많은 사람들이 주목하고 있습니다. 이번 대재난은 제대로 날짜도 보이고 있어, 그날을 향해서 사람들의 의식이 바뀌어 가면, 도망친다 - 보다 정확하게 말하면 대책을 세울 수 있다 - 고 생각합니다. 아무것도 모르는, 이해가 안 되는 상태로 있으면 아무래도 준비를 게을리하거나 도망을 늦게 가거나 하는 사람이 생겨 버립니다. 하지만 날짜까지 확실히 알림으로써 모두가 같은 목표를 향해 갈 수 있지 않을까요. 중요한 것은 준비하는 것, 재난 이후 삶의 방식을 고려해 지금부터 준비하고 행동을 해 두는 것의 중요성을 다시 한번 인식했으면 합니다. (중략) 이번 이 책은 그런 역할을 가지고 태어난 것이라는 생각이 듭니다.”
세계에는 예언자라고 불리는 많은 사람들이 있고, 저마다 다양한 예지를 하고 있다. 또한 세계 각지에 다양한 예언이 존재한다. 그중 많은 공통되는 것이 인류는 앞으로 큰 재난에 맞서야 할 때가 온다는 것이다. 이는 천지에서, 또 신들에게서 오는 메시지다.
타츠키 씨는 자신이 유명해지거나 자신의 명예를 위해 행동하는 것이 아니라 타인을 돕는 정신을 갖고 행동할 수 있는 인물이었기 때문에, 또 그것을 발신하고 많은 사람들에게 전달될 가능성이 높은 만화라는 수단을 갖고 있었기에 예지몽이라는 형식을 통해 메시지를 받고 모두에게 경고를 전달하는 역할을 하지 않았을까.
새로운 예지몽 ‘2025년 7월’
위에도 나온 타츠키 씨가 『내가 본 미래 완전판』의 탄생 이유라고 느끼고 있는 ‘2025년 7월의 대재난’에 대해 소개하고자 한다.
그는 만화가로서 갔던 마지막 인도 여행을 1998년에 했다. 이것은 그녀에게 있어서 큰 전환기가 되어 본인은 “과장하게 말하면 각성했다고 할까 ……”라고 말하고 있다. 대재앙은 2011년 3월이라는 날짜가 보인 것도 이 인도 여행에서 돌아온 뒤였다. 인도 여행에서는 전생에 타츠키의 아버지였다는 성자 사이바와의 재회, 유체 이탈 직전의 체험, 영혼이나 마음의 기적, 깨달음의 의미를 아는 등 여러 가지 사건이 있었다고 한다. 그 여행 중에 앞으로 일어날 대재앙의 꿈을 꾸게 된다.
이 꿈에 대해 그녀는 “비유하자면 걸쭉한 수프가 끓을 때 펑 하고 쏟아 오르듯이, 일본 열도의 남쪽에 위치한 태평양의 물이 솟아오른다. 그런 모습이 보였습니다. 해저 화산인지 폭탄인지 거기까지는 알 수 없는데요.”라고 말하고 있다.
우여곡절이 있어 출판사의 의뢰로 『내가 본 미래』 를 재판하게 됐고, 처음 협의를 위해 담당자와 만나게 된 2021년 7월 5일 새벽 그녀는 다시 이 꿈을 꾸게 된다. 그것은 1999년 ‘대재앙은 2011년 3월’을 보았을 때와 같은 극장 스크린과 ‘대재앙은 2025년 7월’이라는 글자였다. 그리고 구글 어스처럼 하늘에서 지구를 바라보는 꿈이었다고 한다. 그는 꿈에 대해 이렇게 말하고 있다.
“갑자기 필리핀 중간쯤의 해저가 펑 하고 터진 겁니다. 그 결과 해수면에서는 큰 파도가 사방팔방으로 퍼져 태평양 주변 국가에 큰 해일이 밀려왔습니다. 그 쓰나미의 크기는 동일본 대지진의 3배는 될까 할 정도의 거대한 파도입니다. 그 파도의 충격으로 육지가 밀려 올라와 홍콩에서 대만, 그리고 필리핀까지 땅으로 이어지는 것처럼 보였어요.
남해 트로프 남쪽에 있는 필리핀 바다가 펑펑 아래에서 솟아오르면서 거대한 쓰나미가 되어 주변 국가로 퍼져 나갑니다. 일본 열도의 태평양 쪽, 3분의 1에서 4분의 1이 대형 쓰나미에 삼켜지고 있습니다. 진원지를 향해 웬일인지 두 마리의 용이 향해 가는 영상도 보였습니다.”
남해 트로프 남쪽에 있는 필리핀 바다가 펑펑 아래에서 솟아오르면서 거대한 쓰나미가 되어 주변 국가로 퍼져 나갑니다. 일본 열도의 태평양 쪽, 3분의 1에서 4분의 1이 대형 쓰나미에 삼켜지고 있습니다. 진원지를 향해 웬일인지 두 마리의 용이 향해 가는 영상도 보였습니다.”
이 꿈이 정말 예지몽이라면 일본 열도에 막대한 피해가 초래되는 것은 물론 다른 나라에도 많은 영향이 일어나는 것은 상상하기 어렵지 않다. 타츠키 씨도 말했듯이, 정말로 예지몽인지 아닌지는 그것이 일어나지 않으면 모른다. 그러나 2025년에 무슨 일이 일어난다는 것과 일본에서 대재앙이 일어난다는 것은 많은 예언자들이 말하고 있다.
또 (2022년 1월) 통가 해저 화산의 폭발로 인해 많은 희생이 일어나고 지형도 변화된 것은 기억에 새롭지만, 타츠키 씨가 꿈속에서 홍콩에서 대만, 그리고 필리핀까지 땅으로 이어지는 것처럼 보였다고 하니 앞으로 통가 폭발보다 더 큰 규모의 분화가 일어날 수도 있지 않을까. 이렇게 생각하다 보면 앞으로 우리를 기다리고 있는 것은 절망에 찬 어두운 미래밖에 없다고 느끼는 사람도 있을 것이다. 하지만 타츠키 씨는 그렇지 않다는 사실을 우리에게 알려 주었다.
쓰나미 뒤에 찾아오는 새로운 세계
타츠키 씨는 2025년 쓰나미 이후의 세계에 대해 ‘엄청나게 빛나는 미래’가 보였다고 한다. 이 대재앙이 터지면 세계 상황은 크게 달라질 것이다. 그녀에게도 그다지 구체적인 이미지는 보이지 않는다지만 미래가 빛나고 있는 것은 틀림없다며 “지구 전체에서 모든 사람들의 상태가 밝게 빛나고 활기차게 살고 있다는 이미지를 느낀다.”고 한다. 그녀는 TV 프로그램 인터뷰에서 이렇게 말했다.
“미리미리 준비해 놓은 것으로 많은 사람들이 살아나고 부흥을 향해서 사람들이 살고 있다는 그런 상황이 보였기 때문에 정말 큰 재앙이 일어났다 해도 괜찮구나라고 저는 믿습니다.”
“준비가 돼 있으면 피해가 줄어든다지만 어느 정도 피해는 불가피합니다. 그때 설사 지구의 인구가 급감했다고 해도 남은 사람들의 마음은 절망하지 않습니다. 그것은 마음의 시대의 도래, 즉 마음과 영혼의 진화가 일어나기 때문입니다.”
그녀는 해설 말미에 이렇게 말했다.
“2025년 대재앙이 지나간 뒤에는 마음의 시대가 온다고 믿고 싶습니다. 모두가 서로 돕고 협력하며 모든 것이 긍정적인 방향으로 나아가는 세계. 진정한 기적은 마음이 바뀌는 것입니다. 중요한 것은 나 자신이 살아 숨쉬는 것입니다. (중략) 마음의 시대가 오면 내가 꿈에서 미래를 보고 경종을 울릴 필요도 없게 됩니다. 저는 이제 이것으로 ‘드디어 끝난다.’라는 느낌이 듭니다.”
책을 덮으며
우리가 지금 어떤 때에 살고 있는가. 증산도를 만나면서부터 생각하고 배울 기회를 많이 얻을 수 있었다. 이것은 인간으로 태어난 이 ‘삶’에 있어서 매우 행복한 일이었다고 느끼고 있다. 한편으로 일본이라는 나라에 있어서 증산도의 진리를 전하기는 어렵고, 많은 사람들은 자신이 지금 어떤 때에 살고 있는지를 생각할 기회조차 없이 지내고 있는 것이 아닌가 생각한다.
그런 상황 속에서 이 책이 화제가 되어 출간됨으로써 앞으로 대재앙을 겪는다는 것, 그리고 이를 위해 자신들이 갖춰야 할 것들을 생각할 수 있는 계기를 얻지 않았나 싶다. 나는 이 책을 읽으면서 예지나 예언이라는 것은 신도 세계가 선자선손善子善孫이 한 명이라도 더 살아남을 수 있도록 여러 곳에서 일하고 있는 하나의 표현이라는 것을 새삼 느꼈다.
또 도전이나 진리의 내용과 연결해서 생각할 수 있는 점도 있지 않을까 싶다. 예를 들어 쓰나미 후 배로 향할 때 육교 계단이 5개라고 적혀 있다. 명확하게 묘사된 것은 아니고 가설이지만, 여러 나라 사람들이 타고 있는 배=노아의 방주와 같은 존재로 각국에서 후천으로 건너가는 씨앗이 되는 사람들이 타고 있으며, 그곳에 가려면 한쪽 5개 반대쪽 5개를 합하여 양쪽에서 10개의 토土의 수(5·10토土)를 지나야 도달할 수 있다고도 읽을 수 있다. 이처럼 중앙의 토를 지나 후천으로 건너간다는 것은 ‘우주 일 년의 진리’로 해석할 수 있다는 점은 흥미롭다.
또 홍콩에서 대만, 그리고 필리핀까지 계속 이어지는 것처럼 보였다는 부분도 상제님이 말씀하신 “부명符命 하나로 산을 옮길 것이니, 이 뒤에는 산을 옮겨서 서해西海를 개척할 것이니라. 앞으로 중국과 우리나라가 하나로 붙어 버린다. 장차 동양삼국이 육지가 되리라.(일본어 도전 7편 15장 8~10절)”라는 부분을 방불케 하는 대목이다.
더욱이 대재난 이후에 대해 말한 ‘모든 사람들의 상태가 밝게 빛나고 활기차게 살고 있다.’는 부분은 우리의 수행 문화와 통하는 부분이 있다. 물론 “개벽 시간은 도통군자도 모르게 하느니라.”(일본어 도전 7편 12장 1절)는 말씀에도 있듯이 만화에 적혀 있는 날짜나 꿈의 내용이 모두 그대로 된다고 보기는 어렵다. 그러나 모든 것이 맞지는 않더라도 사람들의 눈을 뜨게 하는 계기가 된다는 것은 후천 생명줄을 잡기 위해 중요한 일이 아닐까.
이번에 『내가 본 미래 완전판』이 작자 감수하에 출판되기에 이른 것도 여러 우연이 겹치면서 벌어진 일이었다. 그리고 이렇게 큰 화제가 되고 있다는 것도 의미가 있을 것이다. 무엇이 옳은가 하는 것을 지켜보면서 자신들이 해야 할 일은 무엇인지, 이루기 위해 무엇을 해야 하는지, 그것을 위해 쓸 수 있는 것은 무엇인가 하는 시각을 갖고 행동하며 세상 사람을 한 명이라도 더 구할 수 있기를 바랄 뿐이다.
인용 및 참고자료
◆ フジテレビHP奇跡体験アンビリバボー 夢の内容が現実に起きた漫画家https://www.fujitv.co.jp/unb/contents/220407_1.html
◆ 不思議探偵社 たつき諒先生の「なりすまし」の件について(7月18日)
https://fusitan.net/3252/
◆ TOCANA「2025年10月22日から人類滅亡クラスの大患難時代に突入」世界的予言者!
https://tocana.jp/2021/12/post_226661_entry_2.html
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